![堀尾信夫 作 なす研](/files/theme_configs/main_image_1.jpg)
![堀尾卓司 作 双体](/files/theme_configs/main_image_2.jpg)
![堀尾卓司 作 蘭花研](/files/theme_configs/main_image_3.jpg)
![高原祐二 作 無地研「掌」](/files/theme_configs/main_image_4.jpg)
![中村一姫 作 方陵研](/files/theme_configs/main_image_5.jpg)
赤間関硯は、古来より日本の硯を代表する一つに挙げられ、現在は「赤間硯」の商標名で山口県の下関市と宇部市で制作されています。
その名称は、古くから赤間関(あかまがせき、下関の古称で関門海峡沿いの下関市旧市街)で制作されてきたことによりますが、なかでも赤間関の硯工たちは、産地の自負から硯の裏面に「赤間関」「赤間関住」と銘を刻み「赤間関硯(あかまがせきすずり)」と呼称してきました。
チョコレート色の美しい石肌と巧みな彫刻で、日本の端渓とも例えられるこの硯について、その歴史をご案内いたします。
堀尾信夫は、戦後における赤間関硯制作の第一人者であった堀尾卓司の次男として下関に生まれ、大学卒業後、卓司に師事しその技を継承します。
用の美を追求する日本工芸会に所属し、伝統的な硯制作を基礎としつつ、素材が石でありながらも、柔らかさや温もりを感じさせる「面」と「線」を活かした斬新な造形が特徴です。
傘寿を迎え、新たな作品作りに没頭する日々を送っています。